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水泳指導論 [コーチ業]

今日、仕事の休憩時間に同僚が子どもの頃にスイミングに通っていて、そのときの指導について話をする機会があった。水泳指導論と銘打つにはやや稚拙な内容かも知れないが、日本における初心者の水泳指導の流れについて記しておくことは、決して無駄にならないことと思うので記しておくことにしよう。

初心者水泳指導法としては、基本的に泳げない子どもを対象に語られることが多かった。しかし、当然ながら、泳げない人は子どもであるか成人であるかを問わず存在するために、それぞれに適した指導アプローチがあるべきという点には異論なかろう。しかしながら、いずれの際も水中という陸上とは異なった環境に身をとおじて動作を行わなくてはならないので、ヒトの形態に応じた重心点の変化が起こるし、それに伴った感覚から水に対する「恐怖心」を抱くことが、泳げなくなることのもっとも大きな障害となっているのである。

ここにおいてこれをいかに解消するかということに初心者指導論の最初にして最大のアプローチの工夫が求められるのであるが、元来、日本においては大別して2種類の水中感覚の導入が行われてきている。すなわち、純粋な意味での「水慣れ指導法」と「スイミングヘルパー指導法」の2種類である。それぞれにおいてまたその亜流を含めたりハイブリッド方式を含めたりするとその指導カリキュラムは多岐にわたるが、大まかにわけるとおおよそこの二つに集約される。

「水慣れ指導法」はおよそイメッジのしやすい、伝統的な方法であり、基本的には道具を全く使用する必要がないという点から広く学校現場などでも用いられている、簡便かつ非常に「難しい」指導法である。これについても「顔付け」を最初に行って水中(正確には水上)姿勢へと転移させていくプロセスを経ることになるが、その段階が顔付け後すぐにケノビ姿勢に入るものと、ボビング動作を行って水慣れとジャンプ動作を深めていく方法との二種類に細別できる。いずれにしろ、最初の顔付けがキーポイントである。

人間は潜水性徐脈と言って、顔に水がかかると心拍数が減少するという性質を持っている。水中において心拍数が減少するという一般的な傾向はよく知られるところであるが、この性質が初心者においては全身が緊張状態になっているにもかかわらず心拍が亢進しないという体性感覚と意識のずれを導きやすい。また、水中においては身体に浮力が生じるために安定した姿勢を保持することができなく、支点のない動作を余儀なくされる(オープン・カイネティック・チェーン動作)。この独特な体性感覚を体得するまでに、水中遊びや水の中で目を開ける、可能範囲でのモグリを楽しむなどのいろいろなアクティビティを経てケノビ動作への習得につなげられるわけである。その意味では、水慣れに要する時間が非常に長く、非効率的な面があることも否めない。

このような水慣れに時間がかかる難点を道具を用いて解消しようとしたのが「ヘルパー式」指導法である。よく誤解されていることであるが、ヘルパー指導においてはヘルパーは「浮き輪」と同じ役割をしているのではない。もちろん、浮き輪やビート板を用いて同様のプラクティスを行うことも可能だが、感覚の再現性という面でスイミングヘルパーは非常に優れている。かつて水連の指導者講習会において「ヘルパー指導」について「あんな者は浮き輪代わりでおぼれないようにするための工夫であって有効でない」旨のお話をされる地域指導者委員会のベテラン指導員の方がおられたが、これはヘルパー指導に関する全くの誤解であると言ってよい(ちなみに、以前指摘した水泳コーチのCPR技術について全くのんきなことを言っていらっしゃったのも同じ方たちであるが、本論とは関連しないので敷衍しない)。

ヘルパー指導の利点は、水につかりながら顔付けなど明らかに初心者にとって負担となりうる潜水性徐脈などを後回しにして、先に水中で効率的な浮力を得られる方法を身につけてしまおう、という点にある。ヘルパーを装着することによって水平姿勢をとったときに陸上の重心点に水中での重心点が近づくことで、重心に対する固有受容器感覚を修正し、陸上に近い感覚を得ることができるようになる。その間にキックを習得することによって水中での推進方法体得できる。推進力があれば身体が沈まなくなるので(つまり、浮力を得るために筋力を使う必要がなくなる。石ころを水中にただ落とせば沈むが、水面上を勢いをつけて滑らせると飛び石的に沈まなくなるのと同じ原理である)、ヘルパーを漸減していきながら、顔付けへと進んでいくという過程になる。

このようなヘルパー指導と水慣れ式指導にはそれぞれ長所短所が考えられるが、目的とする水中動作の機能を考慮すれば、多くの点でヘルパー指導法が有利である。なぜならば、顔付けに至るまでに(もちろん直線的に単純な教程ではなくらせん的カリキュラムによって指導されるであろうが)推進力を得ることを導入できるために、水に対する感覚の恐怖心を低減することができ、結果として「泳ぎ」の水上・水中動作の習得が早くなるという点である。その点、水慣れ式は水慣れに時間がかかる分、水中水上動作を習得するまでに時間がかかり、なおかつ水中で「進む」動作を導入する前に浮力を得るために筋力発揮を行うという消去すべき動作を行わないように指導しなくてはならないという難点がある。

私はこれまでヘルパー指導も水慣れ指導も、あるいはそのミックスであるところのハイブリッド指導も様々なカリキュラムにおいて指導したことがあるが、どちらが決定的によいという結論には達していない。ヘルパー指導と言っても結局はその教程の中に水慣れ的な教程が組み込まれてくるのであり、逆に水慣れ方式によって多くのオリンピックスイマーを養成しているスイミングクラブも存在するのである。このことは、すなわち選手のナチュラルなストロークをいかに引き出していけるかという点に焦点があるので、単にこれらの選手が水慣れ方式が必ずしも適合したから、と言うには早計であるかも知れないからである。

しかしながら、ここで今一度指摘しておかなければならないのは、多くの初心者指導に当たるコーチが現場でいろいろと試行錯誤を重ねているものとは思われるのであるが、なぜ、カリキュラム自体についての根源論的探求を放棄しているかのような取り組みを行っていることが多いのか、と言う点である。このことは、先述の地域指導者の皆さんのヘルパー指導そのものに対する誤解はもとより、今ある現状についての問題意識以上の目を持って指導をメタ認識していないという点に、病巣があると言ってよい。

ヘルパーが良いとか道具が悪いとか、そういうレベルの話ではないはずで、人間である以上、文明の発達は道具の利用の歴史であると言うこともできるように、今ある道具を(あるいは新たに考案するのも良いだろうが)あるポリシーに従って利用していこうというのは、多分に文明的・知的な行為である。そのことを理解しているにもかかわらず、なぜ、やみくもにその場その場をどうやりくりするかという近視眼的な取り組みに終始することにとどまって、指導方針の妥当性を勘案しようとしないのか?

私個人の考え方としては、初心者の初期においては適切なヘルパー利用を試みた方がよい、と言う結論になりつつある。しかしながら、水に対する恐怖心を除去することと、文明の象徴である道具を生かしながらそのクライアントの水泳に関するトレーナビリティを引き出す、すなわちナチュラルなストロークを引き出して「泳げる」ように指導するか、と言うことは、また別の課題である。この意味で、ヘルパー指導を行っている指導者はなぜ「ヘルパー」の浮力を変化させなくてはならないか、と言う基本的な点を確認しなくてはならないのは当然であるし、また、水慣れ方式においても水慣れを強調しながら水中姿勢に結びつけようとするあまり、いたずらに恐怖心をあおるような取り組みをしていないか、あるいは性急に姿勢がためを行うことで指導者の型にはめてしまいがちになっていないかを猛省しなくてはならないはずである。

幼児小学生の指導においては、このような初期のアプローチが最も重要な課題であるといえる。それを持って限りなく才能を向上させ優秀な水泳選手となる者もいれば、同じような資質を持ちつつもその端緒の取り組みを失敗してしまったために一生、水に対する恐怖心を取り除けなくなってしまう者もいるかも知れないからである。

成人の指導についても同様であり、成人については多分に頭で理解するという面があるものの、体性感覚というのは子ども以上に陸上の感覚に習熟しているため水中環境の重心について恐怖心を持つ割合は子どもより大きくなる。当然、絶対的な質量も成人の方があるわけであって、特に始めに水を飲んでしまうようなことがあったらそのクライアントはその先一生「泳ぐ」という行為・行動とは無縁になってしまうかも知れない。そのことはスポーツ的自立、すなわちスポーツを自ら楽しむという態度の選択肢を大幅に狭めることにもなりかねないのである。

私のこれまでの指導経験から考察するに、全くの初心者でも、子どもなら1回60分のレッスンで、成人ならば30分もあれば、基本的な泳動作は可能であるように思う。これができないとすれば、それまでよっぽど原理原則に則らない独特な指導を受けられてきたか、それとも水を嫌いにさせられてしまったかの、どちらかであろう。ともかく、このような初心者指導を行えるコーチというのが、今、日本全体にどのくらいいるのであろうか。オリンピックスイマーを養成するためにハイレベルでコーチングが競われていることは大変けっこうなことだが、そこに持って行くまでにどれだけ水を嫌いになってしまって水泳をやめてしまった子どもたちがいるのか。どれだけ水泳という非日常の重力感覚を体感できる特異な身体活動をあきらめてしまった大人たちがいるのか。オリンピック選手を出したコーチは脚光を浴びるし、当然その努力も顧みられるべきことであるのだが、果たしてそれと同じだけの顧慮が初心者指導の指導者に与えられているかどうか。最先端の科学的トレーニングが追求されるのはけっこうなことだが、それが金メダルを取るためと同時に、その底辺を拡大するためのノウハウも深められていると言えるのか。

我々指導者は、頂点を目指すだけでなく、頂点を目指せるにもかかわらずその能力を発揮できずにつぶれてしまう者がいるという現状を、まさにメタ認識を持って、変革しなくてはならない。だとすれば、今、その指導に一貫したポリシーを少なくとも持っているかについて、考えなくてはならないのである。おそらくそのことが、競技力の向上のためにも、最も重要なことであるはずである。

そのことをないがしろにしている指導者が多すぎる。困ったことだ。


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